慎重とは果たして悪なのか
こんにちは。
代表の髙木です。
私は6歳の息子と3歳の娘がいるのですが、息子が娘の年齢(3歳7ヶ月)の時は、どんな感じのことで遊んでいたのか?
このようなことを写真や動画などを遡って見ておりました。
するとある動画を見ていると、息子が初めて自転車に乗ることができた日(当時3歳5ヶ月)の様子が残っていたので、その当時のことを思い出しながら少しお話しできればと思います。
自転車に乗るまでは、ストライダーというペダルのない自転車を乗り回していましたが、いざペダルがつくと一変、まるでできなくなっていました。
3歳の誕生日にプレゼントとして買っていただいたのですが、私の勝手で補助輪なしで練習していました。
何回練習しても乗れない。乗れない自分が嫌になって、諦めてしまう始末。
守破離を無視してしまっていた私の責任ももちろんございます。
ですが元々慎重な性格を持ち合わせておりまして、初めて取り組むことに関しては、石橋を叩いて進むような息子であります。
こんな話をすると、もれなく皆さん”慎重な性格”のことをネガティブな側面から見てきます。
「石橋を叩いて、叩いて、叩き割って進む」
「ビビりな性格」
「用心深い子供」
みたいな若干、どこか皮肉めいた言葉を使って表現する方もおられます。
しかし、慎重さというのは、果たしてネガティブなものでしょうか?
マイナスなことでしょうか?
私としては一切そうは思いません。
息子だから、とかではなく、普通にそう思います。
慎重の対にある言葉として、「大胆」という言葉があると思います。
例えば、豊臣秀吉や徳川家康。
天下を取った武将は皆大胆だったのでしょうか。
私は、大胆な部分も当然あったはずですが、どちらかというと慎重さが勝っていたのではないかと思っています。
もしもお二方の大胆さが勝っていた場合、必ず早い段階で戦死して歴史に名を刻むことなどなかったのではないでしょうか。
私の周りにいる一流アスリートにしてもそうです。
皆、慎重です。
トップになればなるほど、慎重です。
武将なら、戦で死にたくないから徹底的に準備をする。
アスリートなら負けたくないから、事前準備を徹底し戦略を練る。
慎重さがもたらすのは、本番前の行動に現れるのではないかと思います。
そして、本番では準備がもたらす自信から、大胆に攻めに出れるのではないでしょうか。
すみません、毎度の私の持論です(笑)
息子も実際に一回自転車に乗れると、誰よりも自信を持って乗っていますしね。
今では、乗れなかったことなど微塵も覚えてないような感じで、叫びながら乗っています。
ほんのちょっとの「きっかけ」なのでしょうね。
慎重さと大胆さのバランス。
この感覚をしっかりと養っていこうと思った次第ですので、共有しておきます。
ではまた。